2009年2月19日木曜日

訃報。

祖母が亡くなりました。

茨城へ1人で行く予定だった
16日の朝。

出発予定の1時間前に、
訃報の電話を受けました。

母が泣いてました。

間に合いませんでした。
生きた祖母に会えませんでした。

おばあちゃんは、綺麗なお布団で眠っていました。

おばあちゃんは小ちゃかったです。

おばあちゃんの死に顔を見ました。

それでも亡くなった実感が湧きませんでした。
涙も出ませんでした。

それよりも、次々お線香をあげに来てくれるお客さんへの
お茶出しに追われ、気遣ってゆっくりできず。。

長男夫婦には驚きました。
長男のお嫁さんが、おばあちゃんの家の片付けをしたくないから
実の娘であるうちの母や叔母に、
葬式の後 片付けてと言いました。
普通はせめて四十九日くらいまではそのままにしておく筈です。

その日の夜、母と2人で
お線香の火が消えないように 祖母の家に泊まりました。

母は涙ぐみながら、「普通は遺体の隣で片付けなんてしない」
と言いました。

うちから送った写真や贈り物をすべて持ち帰ることにしました。
冷蔵庫の中の物も 少し処分しました。

落ち着いてから、もう一度 祖母の顔を見ました。

嗚咽しながら 声を押し殺して 号泣しました。



1年前、卒業したその足で、わたしは祖母の家へ2泊しました。

おみやげの和菓子がきれいだと喜んでくれて、
丁寧に並べてお仏壇に飾ってくれたこと。
多めに作った煮物と魚を 毎日出してくれたこと。
一緒に演歌の練習に付き合って歌ったこと。
最後に2人で写真を撮ったこと。

1歳にもならないわたしを抱いてくれている写真のこと。

一人暮らしをしてる頃、電話ではいつも
最後にわたしの体を気遣ってくれたこと。

本当に良いおばあちゃんで、大好きでした。

わたしも 母も 従兄弟も みんなおばあちゃんが大好きでした。




火葬場が混んでいて、
土日に葬儀することになりました。

なので私は予定通り、17日の飛行機で札幌に帰ってきました。

母も4日間くらい茨城にいたので、
わたしと一緒に札幌へ帰ってきました。

「おばあちゃん、そろそろ帰るからね。」
と最後に顔を見て言っただけで 涙が出てきました。


生きたおばあちゃんに会えなかったという悔しさもあり、
茨城へこの度帰ってきた意味があったのだろうかと思いましたが、
祖母の亡くなった日に、母を1人で
祖母の家に泊めることにならなくて良かったし、
祖母とあんなにゆっくりお別れできたし、
母と2人で片付けもできたので、結果的には良かったんだと思います。

かんちゃん
結果的に祖母は死んでしまいましたが、
コメントくれてありがとうございましたo(^-^)o

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